ハロウィーン


 日本人が、ヨーロッパのごく有り触れた街並みに魅了される理由の一つに、個性あふれる家々の飾り付けがあるのだと思う。
 どんな田舎の町であっても、そこそこ大きな都市であっても、窓の前に置かれた綺麗な花々を見て、僕はなんだか得したような気分になる。
 特に今はハロウィーンの時期らしく、オレンジのカボチャが街中のいたる所に溢れ、どんな小さなBarに入っても、カボチャと蜘蛛の巣がたっぷりと店中に飾り付けられている。
 そういった一人一人の小さな心遣いが、その国の大きな国民性を表現しているのだと、異邦人である僕は、何度も何度も軒先で足を止めずにはいられなくなるのだ。

牛に


 田舎道には、どこの国でも牛と馬が沢山いる。
 それほど車の通らない道を歩いているときに、ダラダラと横たわる牛達に出会った場合、僕は100%『モォォ~』と鳴いている。
 するとねぇ、なぜかみんな振り向くのよ。
 それでいい気になって、もう一回鳴いてみるのだけれど、みんなただ黙って僕の方を見るばかり。
『ば~か。牛語なんてわかるかよ』
 僕がテコテコ歩き始めると、しばらく経ってから『モォォ~』と、大勢の牛達が鳴き始める。
『ば~か。人語なんてわかるかよ』と言われているような気がする。

山田の日(仮)


 皆さん元気ですか? 僕はいつも通りな感じです。
 さて、今回の更新はいつもとは少し趣向を変えて、長めの文章をタラタラと書いてくつもりです。別に必要は無いのかもしれませんが、近況とこれからの計画を少し皆さんにお知らせしたほうが良いかもしれないなと思った為であって、それほど重要なわけではないです。
 ただ、この計画の為に、これから半月程更新が鈍ることになると思うので、ちょっと暇つぶしということでコーヒー片手に読んでみて下さい。
 まず先日、靴屋に行って「仕事させて下さい」と頼みに行ってきたのですが、2秒で却下されました。 「それはダ~メよ!!」 と。
 近況はこんなもんです。
 そんなわけで、これからの予定について書いていこうと思います。こっからが長いんです。
 以前にも書いたかもしれませんが、この旅に出る前に僕は本当に大雑把な計画を立てていました。それは今のところ三つあるのですが、一つ目はもちろん「靴屋で働こう」というもの。それは皆さんご存知のはずです。
 それでですね、これから少しの間だけ靴のことは忘れて、第二の計画に移ろうと思っています。
 それは『花咲か兄さんになる』という、馬鹿な計画です。
 サンクチュアリ出版との話し合いが持たれたときに、僕は約一ヶ月の有給を取り、北海道の豪勢な実家でタラタラとやっていました。正直、この計画は帰省する前から頭の中にはあったのですが、どのようにして実行すべきか迷いながら帰国したわけです。
 簡単に言えば『桜の種をヨーロッパに植えてしまえ』というものだったのですが、桜の種なんて売っているのを見たことは無かったし、実際に帰省してから市内中の花屋を巡ってみても「そんなもん聞いたこともない。あんた馬鹿か」と言われ、これはダメかなーと思っていたのです。そんな時にたまたま地元の新聞に桜を植えているNPO団体の記事が載っていたので、そこに記されてあった元造園業者の方に電話を掛け、なんとか無償で種を譲ってもらうことが出来たのでした。どうもありがとうございました。
 それでこの想いを、なんとかサンクチュアリ出版の方にも理解してもらおうと、僕はウンコみたいな文章能力でその馴初めを書き、プリントして東京まで持って行ったところまでは良かったのですが、それを出すタイミングを作れずにバッグに入れたままにしていたのです(←根性無し)
 そんなわけで、この際だからその文章を今日公開してみようと思います。これを読んだら橋本ちゃんもビックリです(担当者様、調子ぶっこいてすみません)
では公開しましょう ↓
 『桜計画(仮)』
 二〇〇四年四月初旬。僕はこの計画を思い立った。
 その当時の僕は二十四歳で、ドイツに来てからちょうど一年半を経過し、そのゆったりとした生活リズムの中で暮らしていた。仕事のほうは少々変則的な労働時間ではあったけれど、それをもう苦にすることもなく、与えられた仕事をし、与えられた給料の中で、与えられた平穏な日々を送っていた。
 人によって若干の差異はあるのだろうと思うけれど、人はどんなきっかけでふと故郷を思い返すのであろうか? それはどこかから漂ってくる魚を焼く香ばしい匂いであったり、父親の車の中でいつもかかっていたビートルズの曲によってなのかもしれない。または、にわか雨が過ぎ去った後の湿っぽい土の匂いであったり、優しい瞳を持つ物静かな子犬の寝息によってなのかもしれない。そう、それはその人の持つ経験や生い立ち、既婚か独身か、どの季節が好きか嫌いかなど、込み入っていながらも極端に偶発的なものであろうと僕は思う。
 日本から離れた場所で生活していると、否が応にも日本を意識しながら生活することになる。地元の天気や家族に友達、昔好きだった女の子や、パスタで無理矢理作る焼きそばを「うまいうまい」と食べている時など、どこまでいっても僕のバックボーンには「祖国日本」がハッキリと刻まれていることに気付かされた。それは両親がつけてくれた名前のように、僕がどこで生活しようとも、どこで恋に落ちようとも、どこで涙を流そうとも、それは「僕」という人格を形成する上において必要不可欠なものなのだ。
 そんなことを考えていた折、その年も例年通りドイツで桜が開花していた。
 来独後二度目の春を迎え、一年前よりも周りの景色をゆっくりと眺めることの出来る余裕からか、仕事に向かう早朝の路面電車の窓から、その一帯に凝縮された美しい色彩を放つ満開の桜の花を見たときに、僕は今までに一度も経験したことのない激しい激しい郷愁感に苛まれた。
 来独直前に友人が僕に言ってくれた心のこもった優しい一言。なかなか連絡が取れなかった友人からの微笑ましいメール。僕の顔を見ると不器用に尻尾を振りながら跳びついてくる可愛い愛犬の寝顔。そんなものが一気に僕の脳裏に噴き出し、これが身震いというものなのかと実感するほど、一瞬にして全身が強張った。そして僕は寂しいのか、懐かしいのか、愛しているのか、突き放したいのか、そのはっきりとした理由もわからぬまま、一気に泣き出してしまいそうになったのだ。
 その後少しずつ落ち着いてくる心臓の鼓動を聞きながら、しばらく呆然と路面電車の揺れに身をまかせていると、小学生の頃に読んだ『木を植えた男』の話をふと思い出した。
あの話に出てくる老人は一人黙々とドングリの木を植え続け、その森を自分の目で見ることが出来るという確証もないまま、自分が心から愛した国に、そして心から愛するこの星の人々の為に緑を残していったのだ。
 その時、僕はこう思った。
──もしも、僕が桜の種を植えていったとしたら──
 その頃の僕は、既にヨーロッパを長期間放浪することを決めていた。しかし、ただ職を求めて放浪するだけではなく、その他にも旅のスパイスとも言うべきいくつかの細かな計画を模索していたのだった。せっかく放浪するのだから自分にしか出来ない馬鹿げた計画を遂行し、自由でありながらも忙しい毎日を送りたかった。そういったものがまだはっきりと見つからず、秋のリスのようにひたすら旅の資金を貯め込んでいたのだ。そんな時にこの桜のアイデアに出会えたことは、僕を見知らぬ土地へと旅立たせる為の助長としては、最高のスパイスになったのだ。
 この『木を植えた男』と『木を植えようとしている僕』には、一つ大きな違いがある。それは、僕がこの計画を開始する年齢は二十五歳で、僕が植えて歩いた桜が満開になったとき、その美しいであろう桜の花を見ることは決して不可能ではないのだ。いや、それは十二分に可能なことなのだ。そのことを真剣に考えていくにつれて、もしかするとこの計画は世界各地で生活する人々や、故郷を飛び出して放浪する人々、世界の平和を願う人々にとって、ごくごく小さな意味しか持ち得ないとしても、決して無駄な計画ではないはずだと僕は勝手に思い始めたのだ。
 例えば、何十年後かの春に僕が植えた桜の木を見て日本を思い出してくれる旅人がいて、足を休める為にそっと桜の木によりかかり、懐かしい友人宛ての絵葉書を書き始める。また、桜の木々のそばで育った人であれば、成人して結婚し、愛する奥さんやその子供達と桜を見上げ、ふと優しくも口うるさい母親のことを思い出して、恐る恐る実家の電話番号を押してくれる人がいたとしたら、僕は本当に本当に嬉しい。
 しかしながら、僕はどこに桜の種を植えて歩いたのかについて、事細かにここに書くつもりはない。不特定多数の人々が不特定多数の場所で桜の木を見上げ、哀愁や郷愁、感動や回帰をしてくれるだけで本望なのだ。そのかわり、僕だけは全ての場所をカメラと地図に収めるつもりだ。将来結婚した時に、愛する奥さんとその土地に咲く桜を見つめて微笑みあうことが出来れば、この計画は僕にとっても意味のあるものだったと思えるのではないだろうか。
 春に地球を飛び出し、宇宙から地球を見たガガーリン四世が
「どうやら僕の先祖は、地球の皆さんに嘘をついていたようだ。私達の地球はピンクだった」なんてジョークでも飛ばしてくれれば、僕らの祖国は「地球」だと思えるのではないだろうか。世界中の人々が一本の桜の木の美しさを少しでも心に留めてくれているだけで、この地球は地球人全ての故郷だと再確認出来るはずだ。くだらない争いや差別、常識の違いや宗教の違いは後回しにして、心をすっと落ち着けて、ゆっくりと桜を眺めることの出来るほんの少しの余裕さえあれば、何人もの人達が「愛と平和」について声高に叫び続けるこの不幸な世の中は、少しずつ少しずつ、僅かながらも何らかの変化の兆しを見せてくれると僕は信じている。
 この計画を始める前からも、そしてもし何らかの形で結末を迎えることがあったとしても、平和という花だけはいつまでも散らさずに、僕らの中に優しさという小さな種を、永遠に永遠に植え付けていって欲しいと、僕は心から願うのだ。
山田 和史
 ふぅ…。こんな感じです。長いねぇ本当に。確かコレを書いている頃って、戦争が激しかったか、自爆テロが頻繁に起きていた時期だったと思います。ちょっと「活動家」っぽい文章ですが、下手に修正してその頃の想いを消すのはなんとなく面白くないので、そのまま添付してみました。
 そんなわけで、これからしばらくの間、桜を植えに行ってきます。
 今後、このことについては触れることはないのかもしれないけれど『へぇ、そんな馬鹿な若者がいるんだなぁ』くらいの気持ちで、見守ってやってください。
 じゃあ、ちょっと行ってきますわ。
 では、また
P.S
 「山田の日」のもう少しマシな名前、何か無いですかね?
『これだ!』と思うものがあれば連絡下さい。なるべくこのHPとは全く関係の無い名前が良いです。

やっぱり芸術の国じゃない?


 運良く祭りみたいなことをやっていたので、痛む足を引きずりながらも市内を歩いた。
 沢山の人々が、全く理解の出来ない言葉でボニョボニョと話していたけれど、そんことも気にならないほどの、綺麗な街並み。
 まだ旅に出て二ヶ月も経っていないけれど、僕個人のオススメとしては、ヨーロッパは田舎に限る。
 とても素朴だし、親切だし、物価も都心部に比べると安上がり。宿泊費なんて半分以下がザラだったりする。
 どうしてもガイドブックに頼った旅になると、都心部の物価を基準にして書かれている為に、多くの日本人バックパッカーには敬遠されてしまう。
 そんなことないよ、日本の旅好きの皆さん。
 アジアとまではいかないまでも、ヨーロッパでも安い所を目掛けていけば、十分に旅を楽しめます。
 あぁ。芸術の国、フランス。

高いよ


 上の写真を見て、何か気付いたことは無いでしょうか?
 そう、ただの煙草です。2本とも。
 でも、ちょっと根元まで吸い過ぎてると思わない?
 フランスに入って、二日目。やっと煙草を買える店を見付けたので、いつもの『DRUM』を頼むと、レジに表示されている額は5.2ユーロ(約680円)。
 オイオイオイ。いくら俺が日本人だからって、公衆の面前でいきなりふっかけてくるなよと『ホントに?』と咄嗟にドイツ語が出てきた。すると、その店のおばちゃんはドイツ語が話せる人で
『そうなの、フランスは高いのよ』と、残念そうな顔でこちらを見ていた。
 仕方なく、安い煙草を買ってバス停のベンチに座って煙草を巻き、ふぅーっと一息ついて、うなだれた時に気付いたわけです。
 そりゃ、根元まで吸うわな。と